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2007年8月

2007年8月28日 (火)

カンヌ映画祭受賞 チャン・イーモウの言葉より

2005年9月6日の日記より

とある方のブログで刺激されて、昔の日記より転載。

カンヌ映画祭受賞のチャン・イーモウの言葉です。

『大きな目標や夢を持つのも大事だが、

僕はただ、目の前の道が二つに分かれたときに

どちらを選ぶかを一生懸命やってきただけ

『人生とはそんなもんじゃないかと思う』

『そうやってひとつずつ積み重ねるのが人生だ』

目の前に二股の道があり、

行かざるをえなくて一方の道に進んでも、

確かに選択しているのは自分である。

その瞬間瞬間で一生懸命選んでいくのが人生であると

私も思います。

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2007年8月17日 (金)

後輩との別れ

名古屋から北海道に就職するので、御両親が心配している。
「先輩として色々話を聞かせてやってくれ」

医局長に頼まれ、吹雪の中、函館から札幌にでて歓迎会に参加した。

初々しい姿に希望を膨らませていた彼との最初の出会いは7年前であった。

出張などの絡みと入局者ゼロの時もあったため、自分にとって最初の真の意味での後輩となった。

出来は余り良くなかったが、素直で手が器用な後輩であった。

自分なりに色々な事を一生懸命指導した。

熱が入り過ぎてキツイ事も言った時には、腹が立ったときもあっただろう。

満足に症例が当たらなかったかもしれない。

あっという間の7年間であった。。

先日その後輩が専門医を無事合格し、故郷に帰るという。

無性に寂しい気持ちになった。

昨日は二人きりでお別れ会をした。

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2007年8月16日 (木)

パパのアサガオ日記

夏休みになり妻は子供達を連れて実家へ。

置き去りになった私とアサガオ。

花が咲いたらメールで写真送ってね。

長女に頼まれ、止む無く引き受けた。

それからというもの、毎朝起きるとベランダのアサガオをデジカメで撮るのが毎日の日課になった。

枯らしたら大変なことになると思いながら毎日必死で世話をした。

なかなか咲かなかったが、ある日何気なくみると小さく花を咲かせていた。
(7月31日)

どうやら、来年は「ザリガニ」らしい・・・

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2007年8月12日 (日)

もう絞っていく時期だよね

8月13日、実習最後の日。
 毎朝9:30の講義に間に合うように7時に横浜の細君の家から通うのも今日で最後。5日間とはいえ、予想以上に実のある夏期実習であった。

再生工学では心筋シートを作ったり、遺伝情報学ではヒトゲノム計画が完成し、それをいつでも利用できることを学んだり、ロボットサージェリーについて現状を見たりと、自分が医学部卒後10年の間にこれほどまでに医学が進んでいるのを目の当りにした。

自分のやっている脳外科の分野も進んだと思っていたが、他の分野では医師のみならず様々な領域の人たちが絡んで医療の水準を上げている状況を改めて再確認した。

 「このままでは脳外科が他の分野から遥かに遅れてしまう。」

自分の力だけではどうにもならないことだが、脳外科という分野に色々な人材を絡めていかないと脳外科は衰退の「悪い回転」に入ってしまうような気がする。

そんなことを考えながら実習を受け、免疫染色の待ち時間に同じ外科の分野(彼は消化器外科)で同じ学年、家族もいて、同じく今年大学院に入った先生と雑談をしていた。

「やりたいことを広げるより、もう絞っていく時期だよね」

彼も自分と同じことを考えていた。

すでに35歳という年齢は、

「これから新しいことを出来る年齢ではない」

ような気がしていた。

運命は35歳で決まる

という本を30歳のときに読んだが、その年になってみると、
なるほど、これから今まで歩んできた道を外れても成功する可能性は低い。

目の前に「楽しそうなことはゴロゴロしている」のだが、どれを齧っても付け焼刃にしかならないのはもう子供ではないので分かっている。

ある意味「夢を持って」大学院に入学したのだが、自分の世界の狭さとそこでしか生きれない自分の姿を再確認させられた。

嫌だ嫌だと言いながら、

折の中を出たものの、

外の世界では生きれない籠の鳥

そんな自分を再確認した。

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2007年8月 7日 (火)

Duty first, Self second!

Duty first, Self second! 

大学院の研究室に貼ってあった。


8月13日追記

自分の部屋にも貼ってみた。

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成長するには適度な密度が大事

今週は大学院の夏期実習ということで臨床を離れ、学生になって実習をしている。マイクロピペットを泡を入れないように使うのは難しかったり、少しでも条件が違うと細胞培養が出来なかったりとデリケートな細胞を相手に格闘している。
細胞というのは栄養があれば大きくなるわけではなく、足場となる骨格が必要で天然のもの、人工のもの一長一短あり、いかにin vitro(体外)で実験するのが大変か良くわかった。しかも細胞というのはとても贅沢で、沢山ばら撒いてsurvivalしなさいという条件では成長せず、また少な過ぎて「一人でどうぞ」という条件でも成長しない。適度に細胞と細胞が接していて初めて培養できる。

このような細胞を成長させるのが難しいのと脳外科医の育成が難しいのが非常に似通っているように感じた。

脳外科が一人前になるには全科で一番時間がかかると思う。
何故なら脳腫瘍、脳血管障害で手術をしなければならない患者は他科に比べ圧倒的に少ないからだ。

外科医には必ず成長カーブがあり、ある程度症例を経験しないといけないが、症例数(n)の多い病院は術者(s)が多く、症例数が多い病院=(イコール)手術がうまいとは限らない。

逆に術者に比べて症例数ばかりが多くても術後管理が不十分になってしまい手術成績が悪い。

S医大のH教授と脳外科医の教育について話した。
「この症例数(n)と術者(s)のバランスが大変難しいんだ。」

成長するには適度な密度が大事なのは、ある意味自然な状況なのかもしれない。

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脳外科病院サバイバル

残念ながら、昨年度の脳外科医志望者は前年比で全科で最悪の減少率であった。
(朝日新聞 2006年5月12日(金) 脳外科医志望 若手で2割減)

2年の臨床研修を終えた170名(2006年)しか脳外科を志望していない。
唯でさえ脳外科医7年目以降に受ける専門医試験までに「ドロップアウト」してしまう人は少なくないので、あと10年後の脳外科という分野は間違いないく縮小する

脳外科の病院も間違いなく「減る」。

他の科もそうであるが、研修医に選ばれる病院が生き残れる病院、そうでない病院は徐々に規模を縮小化して廃業に追い込まれる。ある意味survivalな状況である。

研修医が多い病院は何となく嫌だと思われる方も多いが、健全な病院経営、長く生き残るためには若いスタッフがいるのは当然であり、若いスタッフがいない施設は上記のような運命を辿る可能性があると思ってよい。

これが現実である。

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2007年8月 5日 (日)

転勤は脳を活性化する

以前、頭を働かせているようでも同じ行為の繰り返しでは頭が呆けてしまうと書いた。

では呆けないように「無理やり」脳を働かせようとしても、なかなか同じ環境では不自然な努力となってしまい持続しないことが多い。

知らない国行って聞きなれない言葉を聞き、知らない人に囲まれて暮らすというのは非常にストレスなことだが「生きるため」に相当必死になるのは言うまでもない。生きるために脳は「命懸けで」活性化して、適応しようと努力する

そういった環境に定期的に行く機会があれば、「必死になって」頭を活性化し呆けることは先ずないのではないかと思う。

振り返れば自分が医者になって11年間、毎年転勤をしていた。職場に慣れるために、些細な事も聞いてメモを取っていた。1年経ってそのメモを見ると「必死になっていた自分」を振り返ることができ、「こんなクダラナイ事、メモっても」と年度末にはいつも微笑みながら読み返している。

転勤というのは良くも悪くも逆境だが、逆境こそ脳を活性化するチャンスである。

「人間は危機に接した時に信じられないことを成し遂げる」

また明日から、頑張ろう。

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